こんにちは。夢の宮アネックスへようこそ。
管理人のEki-MAJOです。
先日、本館のほうで「源氏物語」について少し書きました。
(死の天使が過ぎゆくところ…|夢の宮)
上村松園 『焔(ほむら)』
女性で初めて文化勲章を受賞された上村松園画伯の日本画ですが、見ているとゾクゾクと鳥肌がたってくるような怖さがあります。
読者様から頂いたコメントですが。
>源氏物語は光源氏の自業自得なところが多いですが。
>六条御息所も大臣クラスの家に生まれて、
>お妃になる為の教育しか受けてこなかったし。
>ちょっとかわいそうな人です。
>ミチマサは御息所だけど、
>こんな身分の低い御息所っていないだろうな・・・・・?
>松園さんの絵はどこか怖いところもありますね。
>それと悲哀も。
>有名な序の舞もです。初々しさだけでない感じが出ています。
>まだ、生で見たことないので見たみたいです。
六条御息所は、大臣クラスの家に生まれた超セレブでハイソな“お嬢様”。
父に未来の天皇の妃として、大切に育てられました。
16歳で東宮(皇太子)のもとに入内。東宮は、六条御息所を愛し、とても大事にしてくれた。4年後に御息所は子供を授かった。
(御息所(みやすどころ)とは、天皇や皇太子のお子を産んだ女性に対する敬称です)
摂関政治のならいで、産まれてくるのが男の子なら、と父大臣は望みをかけるが生まれてきたのは女の子(内親王、後の秋好中宮)だった。失望した父大臣は、病で死去。
幸せは長く続かず、その後しばらくして東宮とも死別。御息所は、宮中を去らねばならなくなる。
父大臣の屋敷で静かに過ごしていたが、宮中にいた頃から、教養とセンスある美しい貴婦人で通っていた御息所の許には、多くの趣味人が集ってきた。
その中に、若き光源氏がいた。
ここから泥沼の愛の悲劇が始まる。(笑)
「過去の人」と思われていた御息所の日常に華やぎが戻ってきたと思いきや…、なんと光源氏の熱がすぐ急激に冷めてしまう。
都人の噂になって、時の帝(桐壺帝)のお耳に入るほど。珍しく帝は息子(光源氏)を叱る。
「お前は何を考えているのかね。あの方は、私の弟である前東宮(さきのとうぐう)がとても大切にされた方なのだよ。私だって自分の娘のように思っている。並みの愛人のように軽々しく扱ってよいお方ではない」
でも、光源氏は御息所のもとになかなか足が向かない。光源氏には密かに思う人がいたから(藤壺女御)。
御息所は御息所で、市井の噂が帝のお耳に入っただけでも悔しく思う。
教養高く、理知的で、誇り高い性格が完全に裏目にでてしまった感じです。
いつの世もある、男と女のすれ違いなんですが、ここからが先の展開が、普通と(かなり)違う。
なんと御息所は、生霊になって、光源氏の妻たちに憑りつき、殺してゆくのです。恐ろしや~
案外、(本音では)六条御息所を好きという女性が多いのは、この人は「女性の不毛で不幸な恋」を象徴するキャラクターだから、でしょう。
(実は、私も好きだ)
千年前に、こういうキャラクターを生み出した紫式部は、本当に偉大な作家です。
六条御息所は、後世のクリエイターたちにも甚大な影響をあたえ、謡曲のシテ(主役)になったり、さらには、三島由紀夫の「近代能楽集・葵上」のモチーフにもなりました。
なるほど、人の憎悪を直接にぶつけられたら、普通の人はちょっと病むかもしれないな、と思いました。
(少なくとも、心の病(ノイローゼ?)くらいにはなるかと思う)
六条御息所に憑りつかれた女性たち、葵の上も紫の上も、共に死を迎えています。
葵の上は、お産で苦しみ(この時の様子を医療関係者に読んでもらうと、妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)の症状に似てるそう)、産後、急に亡くなるのです。お産で体力を消耗してしまったんでしょうか?
昔も今もお産は女性の大事です。産褥で亡くなる女性は多かったと思います。(「葵」の巻)
この事件で、光源氏に嫌われたと自らを恥じた御息所は、斎宮になった娘と共に、伊勢に去ります。
(御息所自身は、「人を憎む気持ちすらいとわしい」と思っているのですが、深層心理では、葵の上が憎くてたまらない。葵祭での車争いの恥辱も加わり、嫉妬と憎悪で気も狂わんばかり。その心理を認めたくないばかりに押し隠された深層心理が物の怪と化す、解釈は納得できる)
数年後、代替わりで、都に帰ってきた御息所は、まもなく病を得てなくなります。
源氏は、後を託された養女にした御息所の娘の前斎宮(秋好中宮)に性懲りもなく言い寄って、嫌われたりしてますが。(笑)
その後、光源氏は絶頂期を迎え、紫の上と幸せに暮らしているのですが…
女三の宮の降嫁を請けてしまいます。このことは、紫の上との関係に次第に亀裂を生んでゆく。
紫の上は、出家の願望を抱くも許されず、次第にストレスをためてやがて発病します。想像以上に重い病でした。
紫の上も御息所の死霊に憑りつかれて、一時、息絶えます。
光源氏や僧侶たちが必死に祈りを捧げて、息を吹き返しますが、ついに健康は元に戻らず、5年後に、静かに息を引き取ります。
(しかし、御息所の生霊や死霊だと、原作にはっきり書かれているわけでなく、光源氏が御息所の霊だと思った(光源氏の主観)と描写されている。ここが、紫式部の非凡な点です)
紫の上は、今でいう臨死体験をしたことになる訳です。
もとから優しかった性格がさらに優しくなり、「自分は救われなくてもいい。こんなに悲しんでいる殿(光源氏)を、どうして見捨てて(あの世に)行けようか」と、考えて養生に励んだり、お経を勉強したり僧に師事したりします。
(紫の上に執着する光源氏は、紫の上の出家を最後まで許さない。ひどい男だ。在家出家のような形だけは許したが)
紫の上が病み伏している間に、正妻の女三ノ宮と柏木が密通するという大事件を起こしてしまい、光源氏は、憤怒の思いをこらえかねるのです。光源氏の老いと凋落が始まってゆきます。
光源氏の、女三ノ宮と柏木に対する仕打ちは、もう「イケズ」そのものです。
「若菜・上」、「若菜・下」、「柏木」の巻を読むだけでも、『源氏』の凄さが分かります。
紫の上はその間、静かに養生し、結果、なんとか5年はもったという感じです。
手ずから育てた養女の明石中宮に看取られての、静かな最期でした。
最後まで、後に残されることになる、年取って気の弱くなった夫を気遣いながら。(「御法(みのり)」の巻)
光源氏は、頼り切っていた紫の上に死なれて、悲しんで悲しんで、心が呆けてボケ老人になる(!)という、かなり、救いようのない(しかし、読んでるほうは何故か元気が出る)物語です。
(新年と『源氏物語』|夢の宮)
祈祷を行う安倍晴明 『泣不動縁起絵巻』清浄華院所蔵
安倍晴明の蟲毒(こどく)の逸話が物語るように、平安時代も呪いが(日常的に)あったと思うんです。
「こいつさえいなければ…」と思うことは、よくあったはず。戦争のない時代で、家柄などである程度人生が決まりますから。
身分の高い女性も入内すれば、皇子を産まないと、家の出世にも響く。ストレス社会の先駆けです。
私も最近、どうやら人の憎悪をぶつけられていたみたいです。
すごく疲れてしまいました。
むき出しの人の憎悪を向けられた経験があまりなく(今までは、私が人を恨む側だった)、戸惑いもあります。
自分で自分の過去記事を読み直して、元気を取り戻してるあり様です。
(不思議な体験をした…|夢の宮 アネックス(別館))
なんか、表現が難しいのですが、空しい気分です。
自分が、自律神経失調症とも分かったので、ボチボチ元気を出して歩くしかありません。
祝詞を知っていたのは、助かったな、と自分で感じています。
大祓詞の罪の名前が細かく記されたバージョンに、国津罪のひとつとして「蟲術(まじもの)せる罪」とあります。呪術のことです。
でも大祓詞の力で(祓戸4神のお力も加わって)、その罪を「ない」ことに出来るわけです。
(大祓詞(おおはらえのことば)について|夢の宮)
自分を救ってくれるのは、究極、自分でしかない。
今回ほど、このことを痛感したことはなかったです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さまがお幸せでありますように。
コメント
コメント一覧 (20)
もっと早くにコメントしたかったのですが。
夏は暑さで、だりー状態で、仕事に行くのが精一杯で。
最近、涼しくなったので。前から、気になっていたここようやく書きこです。
源氏物語で好きな人物は朝顔の君と花散る里ですね。
朝顔の君は光源氏を振るからすごいですね。
朝顔の君には女教皇のイメージもありますね。
六条の御息所は自分にもそんな一面があるかもという気がして、
なんか気になってしまいますね。
また、本館にお邪魔します。
Eki-MAJO
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夕霧や薫は真面目ですしね、著者としては勝手に動いてくれる源氏寄りの方を好むのが分かります。宇治十条は私は意外と夕霧と雲井雁との件や、浮舟が最後に言葉(意志)を伝えるのが匂宮でなく薫である所が印象深く、相手が薫だからこそ物語に区切りが付く感覚がありました。薫は優柔不断な振られ男の代名詞みたいになっちゃいましたけどね(苦笑)。
本来シニアのGPシリーズに参戦する必要はなくトリノ五輪もシニア世選も出場できない15歳のJr.選手である真央ちゃんが可愛らしくてポニーテールであったって「子供っぽい」の何が不服だ問題だ、くるみ割り人形はむしろ15歳の選手でなければ表現出来ないイノセンスじゃないかと、怒りを覚えてました。もともとは城田がトリノ五輪翌年の東京世選を満員にする為だけに、4回転跳べてもメダルは難しい安藤さん高橋選手を「トリノで金」とかマスコミに囃し立て、最高の客寄せとして伊藤みどりさんの後輩で3Aを跳べるようになった真央ちゃんを勝手にシニアへ引っ張り出したのが根底なんですよ。
Eki-MAJO
がしました
そう、源氏にとって生涯通して特別な女性は皆名前の花が「紫」系なんですよね。その中でも紫の上の「紫」は最上級の紫、紫根。彼女が理想的で最高級の女性に成らざる得ないのは定めでしたし、叔母姪の藤壺と紫の上だけでなく桐の花も紫、しかも「紫」には「ゆかり(縁)」の難読があることを思い出した時には強い衝撃を受けました。
狭い世界で因果は回るものだとしても、余りにも〇〇と似てる〇〇の血縁者に執着してしまう源氏の罪深さは此処にあるのかと(紫の上は交流のないものの叔母藤壺に似た姪であり、息子世代でも浮舟も異母姉の宇治の大君に似てる事から求愛されます。源氏父も藤壺が亡き桐壺更衣に似てる分寵愛した訳ですし、夕霧も紫の上に思慕に近い憧憬を懐きますから血って怖いですね。)
つまりは一家の男の好みは似てるもので(y染色体の特性なのか)、光源氏とは言え男はマザコンよと説いている様にも思いました。
源氏にすがり付かれ出家できなかった紫の上と薫や匂宮の手中から離れ出家できる浮舟はどこか対の印象です。
源氏が去ってからは物語を彩る女性が色づく花から流れゆくものの名へと移行してるのも興味深いです。
真央ちゃんに捧ぐ、拝読しました。満知子先生と共にしたGPF代々木大会の映像から発せられてる眩しさ清らかさに胸がいっぱいで落涙でした。忘れさせられてたんですけど、この頃は幸せな気持ちと順位がまだ等しい範囲で繋がっていたんですよね…。でも既に真央ちゃんのポニーテールを子どもっぽいと批判する声があり、この大会から試合はお団子、ポニーテールは『素敵なあなた』までほぼしなくなった事も思い出されます。
Eki-MAJO
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いろいろ教えていただき、ありがとうございます。
京都ではなく、郷里(三重県)です(^_^;)
転勤族で全国転勤の生活をしていましたが、奈良市には長く住んでいました。その間、子どもの事情で夫が単身赴任しましたので。
退職後、郷里に帰って数年経ちます。昨年は義母も実家の母も見送りました。(私は60歳代です)
やっぱり淳之先生もお稽古されていたのですね。
京都はお稽古の関係で、若い頃からよく行ったのと、奈良に住んでいたころ仕事や勉強で通いました。
金剛能楽堂も、四条室町にあった頃は昔の舞台見物の趣がありました。いつもお香の香りが漂っていました。座席は桟敷席、御簾席です。底冷えのする冬の京都では、火鉢を借りてきて、暖を取りながら楽しみました。
毎年、虫干しをかねて能面能装束展があり、京都の友人とよく行きました。
現在は京都御所の近くに移転し、近代的な能楽堂になりましたが。
夢のみやブログは以前から読ませていただいていますが、こちらの別館は最近読み始めました。
膨大な知識量と作成にかけていらっしゃるお時間を想像し、凄い方だなと思わずにいられません。
松伯美術館の情報をと思い、厚かましくコメントさせていただいた次第です。
今後ともよろしくお願いいたします。
Eki-MAJO
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初めてコメントさせていただきます。
奈良市登美ケ丘の松伯美術館に、上村松園、松篁、淳之3代の作品が収蔵されています。
四季折々のテーマに沿って展示されますので、コロナが終息しましたら、是非京都旅行のお帰りにお寄りください。
私は最近まで奈良市に住んでいましたが、今は郷里に帰って来ました。
因みに、上村松園、松篁は(淳之はわかりませんが)京都の金剛流のお能を嗜まれました。
そうしたことから、能をテーマとした作品も多いです。金剛流のお稽古をしていた時、そんな話を聞きました。
Eki-MAJO
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毎年12月ぐらいに徳川美術館で源氏物語展が催されてます。貝殻の絵、着物などそれをモチーフにした作品が展示してあります。
光源氏さんは、私からすれば○○依存症だと思います。ひっきりなしに女をとっかえひっかえ、よく体力がありますね+腰が疲れないのかなと思います。(下世話でごめんなさい。)
六条の御息所さんのことを知ると、生き霊にもなるよなと思います。
努力では何ともできない男女の心の機微・女遊びの激しい奴は最終的に孤独になるのも太古から変わらずなんだなと心に留めました。
熱狂的大ファン(名前すら呼びたくない)の悪意、お疲れ様です。私は過疎ブログだのなりすましだの一方的に言われましたが、あの人たちが言葉通りの管理人になりましたね。かなり年上の彼氏と信仰心の厚い彼女、普通なら相手にしないけどお互いに助け合うなんて、よっぽどいい男といい女なんでしょうね。羨ましいです。
上村松園、コロナが落ち着いたら鈍行に乗って京都まで行って彼女の絵が飾ってある美術館に寄ろうかなと考えました。
ついでに山陰線に乗り変えて、安来で降りて足立美術館にも行ったろ。
自律神経失調症も落ち着くといいですね。
美しいものを紹介してるので、回復は早そうですね。
Eki-MAJO
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何度も読み返したのは、明石の君のお話でしょうか。その時代の上流社会、貴族の習わしとはいえ、本当に紫の上が気の毒で…。自分には子供がいないのにもかかわらず、光源氏の血はつながっているとはいえ、明石の君の娘をなぜ、養子にしなければならないのかという葛藤が切なかったです。
(明石の君も、本当は気の毒なんですよね。父上である明石の入道の言うとおりに上流社会を仕込まれただけで、光源氏との出会いも純粋なものだと思っただろうし。しかも、娘が入内するまでは出自の引け目から、母親として娘に会わなかった心情も、複雑なものを感じます)
それでも、最後まで自分の娘として育て上げて、明石の君の心にも寄り添って、前向きに生き抜こうとする紫の上の強さと寛容さは、考えさせられました。こうやって、紫の上と、六条御息所の生き方を見ると、対称的ですね。和紀先生の描く六条御息所の「生霊となる葛藤」も、哀しくて、凄まじい思いましたが、最終的に愛って「何があっても、赦すこと」なんだなと思いました。これだけ愛され赦されたら、光源氏としては、本望だったろうけれど、最後まで光源氏はその赦しに気づけなかったんだろうな…(;´∀`)失ってその大きさを知り、どこかで報いを受ける。でも気づけない。光源氏にとっては晩年は地獄だったろうと思います。紫式部、本当に非凡なお方だったと改めて…。
ふと、現実の皇室を見ていると、時の昭和帝、秋篠宮皇嗣殿下のお言葉が強いのは、「祓い」と「赦し」があるからなのかなと思いました。
Eki-MAJO
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六条御息所は気の毒な方ですね、いい男と出逢えても男運がなかったのかなとも思います。源氏物語の女性はみな何かしら生きる難儀を象徴していますが。
高貴な喪婦なのに若い源氏に知らず知らず執着し、彼の正妻の葵の上とは思わぬ接触といざこざから制御できないくらいの嫉妬と怒りを抱き生き霊になり、当時新しい女だった夕顔にも、自身がこの世を去っても念は変わらず源氏の正妻ポジションである紫の上にも降りかかる。そこに先東宮の正妻で麗しい六条御息所の姿はなく、嫉妬に駈られた女の醜さと狂気、業がある。そういう生々しさ、高貴な人でも感情の処理を間違えてしまう怖さ、色恋や執着で気を付けなければいけない事を見せてくれるしくじり先生(反面教師)、だから女性人気のある登場人物でもありますよね。
源氏物語は源氏ゆかりの特別な女性(母、義母、生涯特別な恋人)は「紫」だとか、花の色を知ると雅な方々の色恋物語では終わらない深みと人の哀れがあって良いですね。紫の上が亡くなり源氏がいなくなった息子世代からは淡白に感じてしまうのですが、また通読しようと思いました。
Eki-MAJO
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Eki-MAJO
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でも、憎悪をぶつけられていたとわかったのですから、これからEki-MAJOさまには幸福が来ますよね。
どうぞお大事になさってください。
これまでの辛いご経験が幸福に変わってどんどんEki-MAJOさまに訪れますように。
この記事を読んで、上村松園と源氏物語をまた楽しんでみたいと思いました。
新しいきっかけをいただきました。
更新、ありがとうございました。
Eki-MAJO
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